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マインドフルネス・心理学・育児の迷走ブログ

究極の神秘体験?!立ち会い出産体験記

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先日出産に立ち会いましたので、その体験を書こうかな?

立ち会おうかかどうか迷っている夫婦も多いみたいだけど、ぼくは立ち会うことは最初から決めてました。
出産というプロセスをこの目で確かめてみたかったんです。
めったにない貴重な機会なので、できることなら自分でも産んでみたいもんですが、もちろん無理なので、気持ちだけでも一緒に体験して産んだつもりになりたいなと。
もちろん、立ち会うことで母子をできる限りサポートしたいという思いもありつつ。

なにはともあれ、出産トラウマに代表される分娩前後の経験は、赤ちゃんのその後の人生に計り知れない影響を与えると言われています。
なので、できるかぎり声をかけたり手を当てたりして母子ともに安心させたかった。
いやむしろ、そうすることによって、ぼく自身が安心したかったのかもしれません。

なぜならぼく自身が難産で、母子ともに生死の境をさまよったとか、さまよわかなったとか。
子の出産に立ち会うことは、親の出産トラウマを一気に解消するチャンスでもあるのですよ。

***

さて本題ですが、妊婦さんは定期的に産婦人科へ妊婦検診に通うことになってます。
超音波をあてたり、内診をしたりして、母子の健康をチェックするわけですな。
妻は貧血美味で産休に入るまではけっこうつらそうでしたが、それ以降は特に問題もなく、小柄な赤ちゃんでしたがおなかの中でスクスク育っているようでした。
ただ、成長が少しゆっくりみたいで、誕生日も遅れるだろうなあと漠然と思っていました。

妊娠10ヶ月頃になるとおなかはもうはちきれんばかり!
そんな出産予定日5日前の検診のときの出来事です。

医師や助産師らが急にあせりだし、
「子宮口が開いてなくて胎児が降りてないので、すぐにでも陣痛促進剤で出産します」
と言われたそうです。さらに、
「病院の予定が埋まってしまうのですぐその場で日取りを決めるように」
と迫られたらしいのですが、その日ぼくは病院には付き添っていなかったので、妻の説得によりなんとか判断を保留してもらい、持ち帰って夫婦で相談することにしたのでした。
というのも、ぼくら2人はできることなら自然分娩を希望していたからです。

次の検診(予定日の朝)に妻に付き添い、医師と相談することにしました。
医師は、
「予定日から2週間を過ぎると赤ちゃんの死亡率が急上昇する」
とのこと。さらに、
「そんなに言うなら丁度2週間後に促進剤での分娩でもいいけど、そのスケジュールの場合、帝王切開の可能性もある」
と伝家の宝刀を出してきました。
さらに助産師さんは、
「元気な赤ちゃんを見たいよね?だったらすぐ産もうね!ほらほら」
とせかしてきます。

ぼくは「いのちの大きな流れ」みたいなものに対する信頼がありましたので「なるようになるし、大丈夫」と確信していました。
しかし、権威であるところの医師や分娩のプロである助産師さんにそう言われ、妻は急に不安になってしまったみたいでした。
たしかに、医師らのいうリスクも全く無視はできません。

ぼくらは、妊娠中の約10ヶ月間、おなかの赤ちゃんに色々はなしかけてきましたが、特に
「ママと2人で一番いいタイミングで出てくるんだよ~、待ってるからね~」
って何度も何度も伝えてきました。
なので、できるかぎり「信じて待つ」ことが子育ての第1歩として大事だと思っていたのです。

僕らにできることは、期限をギリギリまで伸ばしてもらい、その間に自然な陣痛が来る可能性を待つことでした。
結局、決定をさらに保留にしてもらい、次の検診のときに正式に決めるようにしたのです。
もしかしたら、それまでに自然な陣痛がくるかもしれません。

要するに、病院側はリスクを最小限に抑えたいのと、日取りを予め決めておきたいのとで、なるべく早めに管理された出産を行いたいんですね。
もちろんそれはそれで大事ですが、あえてそうしない選択肢もあると思うんです。
母体のプロセス、赤ちゃんのプロセス、そしていのちの大きな流れにそっと寄り添う出産。
本来、出産は100%自己責任のうえ主体的に取り組むものです。

・・・とはいえそれはあくまで理想論で、現実はそうもうまくいかないものでして、病院側は「すぐにでも」と言い、ぼくは「大丈夫だ」と言い、当の本人である妻は板ばさみ状態でどうしたらよいのかわからず、そのことで夫婦仲がギクシャクしちゃったりして、それがおなかの中の赤ちゃんにとって良いはずもなく、なんともかんとも大反省でした・・・。

出産予定日の前後なってくると、お医者さんや助産師さんは陣痛促進剤での出産をますます強くすすめてきました。
病室や分娩室が埋まってしまう可能性もあるので早く決めたほうがいいとのこと。
比較的小規模な病院ですが、地元では人気のある病院らしいです。
妻は検診で病院にいく度に、色々なスタッフの人達から日程をせかされ大変だったみたいです。

しかし、ぼくらは自然なお産を希望していたので、できるだけ「信じて待つ」という姿勢をくずしたくありませんでした。
それに、赤ちゃんがお腹の中にいたときからずっと、
「ママと2人のタイミングの良いときに出てくるんだよー」
と、何度も何度も話しかけてきました。
出産のタイミングは、医者ではなく母体と胎児のからだが一番よくわかっているからです。

しかしながら、現実問題として予定日から14日を過ぎると統計的にリスクが上昇する。
最終的には、予定日から10日後に陣痛促進剤による出産の予定を決めたのでした。

医師との話し合いによりギリギリまでのばしてもらったものの、最後の最後での陣痛促進剤への転換は心苦しいものがありました。
言葉はわからないとは言え、結果的にまだ産まれてもいない子に、ある意味「嘘」をついてしまったことになるのですから・・・。

日程を決めた検診の日、おなか中の赤ちゃんに、
「3日後(予定日から10日後)の朝になっても産まれてこなかったら、2人の安全のために陣痛促進剤で産むからねー」
と話しかけました。赤ちゃんは、
「ボン、ボン」
とおなかを蹴り返してきました。

ところで妊婦検診では、「安静にするように」とずっと言われ続けていました。
おなかの赤ちゃんが少し小柄だったので栄養を赤ちゃんに渡すためだそうです。
ところが、予定日前の検診で急に「運動してください」と言われるようになりました。
予定日が近いのに、子宮口があまり開いていないからだそうです。
やはり妊婦だからといって過保護になりすぎず、適度な運動は必要ってことですね。

ぼくらは急な方針転換に戸惑いながらも、妻は言われたとおり散歩やスクワットなどの運動をはじめたところ、なんとその2日後(促進剤分娩の前日)になって自然な陣痛がはじまったのです!

その日はたくさん散歩したせいか「腰がいたい」と言うので、足湯をやったり後頭部に蒸しタオルをあてたりしました。
多少楽にはなったみたいでしたがほとんどよくなりません。
「もしかしたら陣痛かも?」などと言っている矢先、急に破水してしまったのです!

妻は「ソフロロジー」という瞑想的出産法をずっと練習していたおかげか、痛みがやわらぎ陣痛に気づくのが遅れたのかもしれません。
(入院する病院は、ソフロロジー出産を推奨している病院でした。ソフロロジーについてはまた追って記事にしたいと思います。)

まさか破水するとは思わず、想定外の展開に2人ともパニクってしまい、そのせいか妻は急激に痛みが襲ってきたようで、急いでタクシーで病院に向かいました。 
病院に着いたら、分娩準備室という部屋で分娩にそなえて待機します。
おなかには赤ちゃんの心拍数を測るモニターを取り付けます。
腕にはブドウ糖抗生物質とおぼしき点滴も付けられます。

陣痛の間隔はどんどん短くなってくるのですが、5分間隔ぐらいかな?になったところでそろそろと分娩室に移動します。
妻は陣痛の波が来るたび、見たこともない顔をして、聞いたこともないうめき声を出しています。汗
ソフロロジー出産はうまくいけば静かで穏やかな出産だと聞いていましたが、もはやそれどころの騒ぎじゃなさそうです。

助産師さんはたびたびの触診により子宮口の開き具合を確認するのですが、そのたびに尋常じゃないぐらいに痛がり、これはさすがにかわいそうでした。
初産ということもあり、なかなかスムーズには出てきませんでしたが、助産師さんによると「子宮口はちょっとづつ開いている」とのこと。

破水から8時間ぐらい経ち、日付も変わって深夜、疲れもみえはじめたころのことです。
分娩室に「ピーピーピー!」というなにやら穏やかでない音が響きました。
助産師さんは急いで母体の鼻に酸素のチューブを取り付けながら、

「旦那さんは外に出てください!」

と言いはなち、なにやらあわてた様子で、医師を呼び出しました。
どうやら、赤ちゃんの心拍数が下がったままになってしまったようです。
ぼくは後ろ髪を強烈に引かれつつも、分娩室を出るしかありませんでした。

医師が呼ばれるということは、何らかの医療的な処置が行われる可能性もあります。
しかし分娩室の中では何が起こっているか全くわからず、全然落ち着きません。
最悪の事態も覚悟しなければ・・・などと考えても余計落ち着きません。
無力感におそわれ、廊下のベンチに座り、ただ祈るしかありませんでした。

面白いのは、必死に祈りながらももうひとりの自分は、
「あっ、本当の祈りってこーゆーことなんだ!」
なんて気付いていたことです。
いままでそこそこ生きてきたけど、本当の意味で祈ったことなんてなかったんですね。

おそらくそんなに長くはなかったはずですが、永遠に続くかのようなあっという間だったような時間がたち、助産師さんから
「どうぞ・・・」
と分娩室に呼ばれました。

おそるおそる入室したところ、医師は、
「大丈夫になったみたいです。なんだったんでしょうねー?」
と。なんだか拍子抜けしましたが、ひと安心です。
ヒヤヒヤしましたが、おかげで貴重な経験をしました。

後日談ですが、妻いわく「痛みで呼吸が止まったか浅くなったせいで、赤ちゃんに酸素がいかなかったのかも?」とのことでした。
呼吸は大切ですね。

ここから出産までまだまだ時間がかかるのですが、陣痛の間は、ひたすら腰に手を当てたり、声をかけたり、水をのませたりしました。
なんせ、妻が発した言葉は「み、水」と「こ、腰」と「い、痛い」のみですから。

夜通しそんな調子で破水から15時間ほど経った朝、夜勤の助産師さんから日勤の助産師さんへのバトンタッチがありました。
夜勤の助産師さんは、帰り際「まだまだ結構時間がかかりそうだねー」なんておっしゃっていましたが、日勤の助産師さんは、バトンタッチしてからさっそく本格的に産む体制に入りました。
急な方針転換にせかされてる感じがして不安でしたが、妻は事前の母親学級で何度か習ったことのある助産師さんで安心したみたいでした。

ただのベッドだった分娩台が、足の部分が「ウィーーン」と電動で出てきて、よくある両足を上げて固定するタイプの分娩台に変身しました。
ぼくも、看護婦さんのエプロンみたいな白衣を着せられて、分娩室は手術でもはじまるかのような物々しい雰囲気です。

まずは助産師さんの誘導で、3分間隔ぐらいの陣痛の波にあわせていきんでいきます。
いきむたびに、少しづつですが頭が出てきているようでした。
5回ぐらいいきんだ頃です、なかなか出てこなかったせいなのか、助産師さんが「おなか押すねー?」と言ってきました。
「押すってどういう意味だろう???」と思っていたら、次の陣痛のタイミングで、助産師さんが椅子の上に両足で乗って立ち、両手でこぶしを作って母体のお腹に「ギューー」っと体重をのせ押しはじめたのです。
おなかにはこぶしが食い込み、まっかっかなあざになっています。

これ、画(え)だけみたら完全に虐待です・・・。
妊娠の間約10ヶ月、あんなに大事に扱ってきたおなかと赤ちゃんが、こないなことになるなんて・・・。

正直怖すぎて見るに耐えませんでしたが、ここはもうプロである助産師さんにまかせてゆだねるほかありません。
そのように3回ほど押してもらいながらいきんだところで、やっと赤ちゃんの頭が出てきました。
ぼくはテンションが上がってしまいいつのまにか「がんばれー!」とか叫んでました。笑
妻の後日談では「出産中の記憶はほとんどないけど、叫びがうるさかったことだけは覚えている」とのこと。

・・・失礼しました。

頭は見えているものの、首のあたりでひっかかっているのか、それからもなかなかスムーズには出てきませんでした。
妻はもう体力の限界だったと思います。
さらにその後、助産師さんの誘導で3回ぐらいいきんだところで、ついに、引っ張られるようにして産まれてきました。
9時30分生まれ、3150gの女の子でした。

生まれた直後の赤ちゃんは泣くものだと思っていましたが、娘は全然泣きませんでした。
(その病院では、「カンガルーケア」といって、生まれた直後に母体のおなかのうえに乗っけてくれます。)
おなかのうえに乗っけてもらったあとも、ぼくら2人をじーっと見つめて、なにか言いたげです。
赤ちゃんの口が、なにやらモゴモゴしはじめました。
さあ、そろそろ泣くのかな、と思ったそのとき・・・

「えへへ」

と言ってほほえみを浮かべたのです。笑

ようこそ!!!

時間にして破水から16時間ぐらいだったと思います。
母子ともに、文字通り命をかけてがんばってくれました。

***

「出産とは一種の神秘体験であり、神聖な通過儀礼である。」

出産立ち会いの感想は色々ありますが、いまは特にこう感じています。
有史以来全ての宗教的な儀式の原点は出産にあるのではないかという思いすらしています。

もちろん、医師や助産師さんらのおかげで無事出産ができ、母子とも健康でいられることも感謝しなければなりません。
ただ、正直言うと、実際の出産の現場はぼくのイメージしていた出産とは違っていました。

今回の病院では「バースプラン」といって出産方法の希望を事前に提出することができました。
例えば、
・へその緒はしばらく切らない
・へその緒をつけたままの長時間カンガルーケア
・夫によるへその緒の切断
・照明をうす暗く
・点滴や薬物などをできるだけ使わない
・引っ張ったり人工的な介入はできるだけしない
・出産直後からの母子同室
などなど。
実際には、これらは全て受け入れてもらうことができず、バースプランは自然分娩か無痛分娩かを選べるぐらいの役割しか果たしていませんでした。

そもそも、分娩前後のプロセスはその後の母子の人生につよく影響を及ぼします。
きちんと自然な出産プロセスを経過すれば、出産そのものが一種の快感になるだけでなく、お母さんは更年期障害を減らしたり、骨盤の歪みが整ってスタイルがよくなったりします。
子どもは出産トラウマを軽減でき、からだもこころも元気な子に育ちやすくなります。

しかし、本当に自然な出産をやろうとすると医学的に死亡率や疾病率の上昇リスクが伴います。
たしかに、分娩前後という短期的な瞬間を切り取れば、数字による合理的判断が有効なのかもしれない。
が、その後の母子の「人生の質」という数字には表れない中長期的な視点が欠けているのではないか。

だからといって「自然な出産プロセスを優先することで、死亡率や疾病率が増えてもいいのか?」と問われると、そこは非常に難しい問題になってきます。
「いのちの価値観」とも言うべきスピリチュアリティに関する問題になってくるからです。

もしかしたら、赤ちゃんの1人1人のいのちの大切さと同等のレベルで、身体・人類・自然のプロセスに対する信頼が必要になってくるのかもしれません。
ゆえに、「医師や助産師さんはからだとこころといのちをホリスティック(全体的)に扱うことのできる、スピリチュアリティに精通したシャーマンでありヒーラーである必要性」を強く感じました。

出産は、強烈な神秘体験なのです。

現実的には、現代における病院出産では本来の自然なお産は不可能に思えます。
万が一何かあったときの責任問題にもつながりかねません。
現代社会は、何かあったときの責任を誰かに押し付けてきた結果として、個人の自由がどんどんなくなってきたとも言えるのです。

少なくとも、両親は100%自己責任のもと積極的に出産に関わっていく姿勢が必要だと思います。
そうなってくると当然、自宅出産も候補の一つとして出てきます。
今はほとんど病院出産ですので「自宅出産なんて怖くてとんでもない!」と思ってしまいそうですが、ほんの2~3世代前まではほとんどが自宅出産でしたから、あながち夢物語ではありません。
(ヨーロッパでは病院出産と自宅出産のリスクは変わらないという研究結果もでています。ただし初産や逆子などの異常妊娠を除く。)

とは言え、ぼくは医学を否定しているわけではありません。
例えば異常分娩への対処など、医学には命の危機を救う救世主的側面もあります。
実際ぼく自身が母子ともに生死をさまよう難産で、帝王切開により助かった命です。
今回だってはじめての出産でわからないことだらけで、病院に入院でき安心できたのは確かです。

病院で管理されたお産にも良さがあり、自宅で自然にゆだねるお産の良さもある。
もっと自由に、多様な出産スタイルが広がってしかるべきではないでしょうか?
きっと、孫が生まれる頃にはそれがあたりまえの時代になっていることでしょう。